BICP住田オフィス開設ものがたり

こんにちは、BICP住田オフィスの伊藤美希子です。

二週間前の610日、弊社は岩手県住田町にオフィスを開設しました。え、岩手?え、住田(すみた)、どこ?なんで?という方も多くいらっしゃると思いますので、なぜBICPが住田をオフィス開設したのか、その背景と意図をご紹介したいなと思いまして、ブログを書かせていただきます。

背景が長いので、ご容赦ください。。。

 

岩手県住田町ってご存知ですか?

住田町は、岩手県の沿岸南部に位置しています。お隣は、陸前高田市、大船渡市、釜石市、遠野市、奥州市、一関市と、周囲は知名度の高い市に囲まれているのですが、岩手県にお住まいの方であっても「ん、すみた?どこにあるのかな?」という感じだそうです。

地図2

図:ニューヨークオフィスの榮枝が住田ってどこかしらと作ってくれた地図

 

東京から行きますと、東北新幹線の水沢江刺駅まで「やまびこ」で2時間40分、そこから車で1時間、峠を越えて辿り着く、山あいの町になります。
人口は約5,200人。町の9割が森林という、緑豊かな、そうです田舎町になります。

住田町世田米地域

住田町の犬頭山から見た世田米(せたまい)地区の風景

 

私が、この住田町を知ったのは、2011年の東日本大震災がきっかけです。

震災後、学生時代の研究室の先輩から岩手の仮設住宅でコミュニティ支援をおこなう拠点を得たと聞き、20118月にお邪魔しました。当時は多くのボランティアでごった返しており、たいしたお手伝いもできずに、隣町の遠野、平泉をまわって帰ってきました。旅行ですね。。。その後、イベントのお手伝いなどで通うようになり、「次はいつくるの?」という地元の方の声に甘えて、気づければ十数回通っていました。

なんで、こんなに住田に通っちゃうのだろう。

仮設住宅でボランティアをしながら住民の方、地域の方から優しい声をかけてもらい、わたし、役に立てているかも、と甘い認識に酔っていたのもあります(ホントは私がたくさんお世話されていたのに)。でもそれだけではなくて、住田には人を惹きつける何かがあり、一緒に活動する仲間、魅力的な町民とその人たちがつくる山々と川のある住田の風景が、私にとって、とてもとても大切なものになっていました。

2011年は広告会社に勤務しながら、その後コミュニケーションプランニング会社・ツナグに転職した後も、取り憑かれたように住田に通いつづけ、とうとう活動していた先輩達と一緒に、任意団体であった「邑サポート」を一般社団法人化し、理事に就任しました。

この邑(ゆう)という字は、ムラ、人の集まり住むところ、という意味があります。私たち邑サポートは仮設住宅の支援だけでなく、住田町が抱える地域課題の支援にも取り組むようになりました。

 

邑サポートの活動

邑(ゆう)サポートは住田町の仮設住宅支援をきっかけに、東工大卒の同級生・三人が立ち上げた団体です(私はその後輩)。三人はそれぞれ、研究者であったり、地域づくりの会社を起業していたりと、その道の専門家で、私だけ広告業界出自となります。

震災後すぐは、仮設住宅のコミュニティ支援として、仮設団地の住民交流の企画や、町外からのボランティア団体のコーディネート等を中心におこなってきましたが、2014年頃から、仮設住宅だけでなく住田町自体の課題や、地域の住民活動に関わるようになりました。

ここ数年は、行政から委託を受けて
・空き家バンクの運営
・住田高校魅力化プロジェクト推進
・仮設住宅利活用計画策定
・観光施設の整備計画策定
等々を推進しつつ、
そのほかに自主事業として、住民交流イベントの企画・運営、関係人口と一緒にトレイルランニング大会の企画・運営、などなどをおこなっています。

住田町の魅力を外部から見つめて、それを資源として価値を再定義する、結果的にマーケティングにとても近いことを、地域づくりの立場からおこなっていると思います。

詳しくは、こちらをご覧ください。→邑サポート

 

二足のワラジはここから

さて、私は現在二足のワラジストなんて自己紹介をしていますが、この一般社団法人を立ち上げて理事となった時から、パラレルワークが始まります。本業はコミュニケーションプランナー、でも毎月岩手にも通って地域づくりをしている、そんな生活を続けていました。この2つは、交わることはないんだろうなぁ、、と思いつつ、平行線の二つの仕事に取り組みました。

東京ではMacを背負ってピンヒールでカツカツ闊歩し、住田ではスマホも見ずに車で町内をブンブン駆け回るという、そんな両極端の生活を続けていたわけですね。

行き来する生活は、すごくすごく楽しかったです。世界が二つあって、その間を新幹線と車で峠越えの片道5時間がつないでいました。

 

住田町在住の人と結婚。住田とマーケティングの結婚?

東京に住みながら、毎月住田に通う生活は、BICPに入ってからも続けさせてもらいました。

入社する前は、一般社団法人の理事だし、住田には通いまくるし、もう正社員は無理だな、と割り切っていたのですが、有難いことに邑サポートを抱えたまま社員にどうかな、というお誘いに図々しく乗らせていただき、BICP社員になりました。
毎月毎月、当たり前のように岩手にいってしまうし、連絡は取れないし(当時は本当に忙しく、スマホも深夜にしか見られない状態でした)、同僚を困らせたと思います。それでも、いつも快く送り出してくれた仲間が、何よりの支えでした。

そんな私は、同じく住田町にボランティアとして入り、その後、移住して役場の職員になった人と結婚することにしました。彼は住田在住、私は東京でBICP勤めでしたので、別居婚一択で新生活を始めたわけです。

私たちの結婚式にはBICPのメンバー、そして住田町の人たちがたくさん来てくれました。

もちろん、代表の菅に挨拶をお願いしたわけですが、そこで菅は「この結婚は、住田とマーケティングの結婚だと思っています。」と言い切りました。ん?

その瞬間、一つのテーブルで和気藹々だったBICPメンバーが、一斉に顔を下に向けた景色は忘れられません。。

わたしがこの言葉を聞いたのは、その時で二回目でしたが、それでもやっぱり意味がわかりませんでした!笑

 

二地域居住万歳!住田町民になって納税しよう

別居婚を選択した我々は、私が住田に月2回、夫が東京に月1回通う生活を開始しました。
BICPが、住田に少しでも長くいられるようにとリモートワークを推奨してくれたおかげで、住田へ土日を挟んで5-6日間、東京に戻り10日間、また住田、東京という生活を続け、本格的な二地域居住&リモートワークの日々へと突入します。

結婚を機に、人口減少の激しい住田に町民として納税したいなと思い、割合としては東京にお世話になっているのですが、住田町民になりました。
新しい生活が始まり、二つの地域をビュンビュン行き来する生活はこれまた楽しく、このスタイルがずっと続くとおもっていました。

が、新型ウイルスにより岩手と東京を行き来することが難しく、2020年の春から、私は住田町に居続けることになったわけです。

それまでリモートで働かせてもらっていたおかげ、且つ全員がリモートになった結果、住田町で働き続けることはスムーズでした。むしろ、豊かな自然、美味しい野菜、あったかい人に囲まれて、働けることは喜びでした。

また、思わぬ副産物もありました。身体が住田町にあるため、それまで時間を割くことが難しかった邑サポートの事業にも多く時間を費やすことができたのです。今まで見えてなかった課題も把握でき、一つ一つ取り組む時間がつくれたのは、身体が住田にあるからこそ。オフラインの邑サポートと、オンラインのBICPと、両立をはかり一年が過ぎていきました。

 

身体が住田にあるのに住田のことに取り組めていない

住田町での生活にも、リモートワークにもすっかり慣れましたが、気づくと朝から晩までPCの前に座り、一度も外に出ない日が増えました。皆さんもそうだったのではないでしょうか。。。ボタン一つで会議が切り替わり、移動時間がなくなった私(私たち)はちょっとした息抜きもせずにmtgを続けるようになってしまったのです。

だんだん邑サポートの時間もとれなくなり、地域の課題があることはわかっているのに、それに取り組めていない。以前は「東京から遠いから」「それでも毎月通っている」なんて言い訳していたけど、今、住田にいるのに、出来ていない。住田に住んだ一年を振り返り、激しい焦りが私を襲いました。

ここまで個人的な話をつらつらとしてしまいましたが、ここで、一度BICPの話を少しさせてください。

 

BICPローカルという構想

20201月、私たちBICPグループのメンバーは大阪にある関西オフィスに集合し、毎年恒例の合宿をおこないました。
合宿のテーマは、BICPの次のビジネスについてでした。二人ペアのグループをつくり、次はどんなことをしたいか、するべきかを出し合いました。

私は関西オフィスの大野とペアになりましたが、大野が出してくれた「BICPローカル」という構想を二人で詰めて発表しました。マーケティングで地域、中小企業を支援する。そのために、どういう枠組みで支援できるのかを一緒に考えた記憶があります。

BICPローカル構想2

BICP合宿にて大野発案のメモと二人で議論したワークシート

 

この合宿の最後に一人一人、感想を述べたのですが、邑サポートのメンバーとして地域活動をおこなっていた私は、無謀にも「地域課題を解決するために、今年中に新しい取り組みを立ち上げる」なんて宣言してたのですよ・・・。えぇ、有言不実行でした。

この合宿でのワークはとても心に残っています。

学生時代からずっと、社会課題(私にとっては大きなパワーを持たない地域の課題)に取り組みたいと思ってきたけれど、お金がどうにもならない、稼げない、答えが見つからない、そう思って社会人生活を続けてきました。

でももしかしたら、BICPの資源を使ってそれができるのかもしれないと少しだけ光が見えてワクワクした合宿でした。

 

BICPとして住田へ

さて、時はこの春、一年を振り返り焦っていた伊藤に戻ります。

4月、この焦りと無謀な欲を菅に正直に話しました。住田に身体があるから、もっと地域の課題解決にチャレンジしてみたい、難しいけどお金を稼げる道を探したいと。これはBICPを卒業して身一つでチャレンジすべきことなのかもしれないな、と思いながら、話を続けました。

その際、邑サポートでの活動や、BICPローカルの構想など振り返っていろいろ話したわけですが、BICPの資源をつかってチャレンジしてみたらどうかな、と有難い提案をいただき、役員、メンバーにも了承してもらって、私が愛して止まない住田町でBICPとして活動を開始するべく動き出しました。

もともと管理部門からも、実態として住田に住み、活動しているのだから、営業所登録をしようと提案してもらっていたことも重なって、「BICP住田オフィス」として開設することになった次第です。

 

これが住田とマーケティングの結婚なのでしょうか(笑)

当初、私のイメージは、邑サポートと協業しながら、でも邑サポートの延長線上、いや邑サポートの枝の一つとして旗を立てられないかと思っていました。邑サポートのメンバーはコミュニティ、地域づくりの専門家集団ですが、私は学生時代にかじっただけという引目があり専門家とは言えなかったからです。

今回、BICP住田オフィスを開設することで思ったのは、そうか、ならばマーケティングの方から住田(地域)に出ていくということなのか、と。きっと交わらないだろうと思っていた私のパラレルワーク(パラレル課題ですかね)は、マーケティング側から住田に出ていくことで、今、交差し、動き始めたと感じています。

住田町では邑サポートの伊藤さん、と呼ばれております。これからも、もちろん邑サポートとして関わりつつ、BICPの伊藤さん、マーケティングの伊藤さんとして認識してもらい、地域が抱える課題に一緒にチャレンジしていきたいと思います。

また、この町でこの挑戦ができるのも、仲間に加えてくれて、一緒に活動を続けさせてくれた邑サポートのおかげです。このジャジャ馬を混ぜてくれた三人の先輩に、すごくすごく感謝しています。

 

住田オフィス開設の日、菅が東京からPCRを受けて駆けつけてくれました。

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住田オフィス開設の日、サプライズで地域の方が手作りのリボンを持ってテープカットをさせてくれました!

 

夜、三陸の美味しい魚を食べながら「住田とマーケティングの結婚」祝辞とあの時の場の凍った反応を思い出し、また大笑いしました。

結婚はゴールではなくスタートです、というのはよく聞く話ですよね。
住田とマーケティングの結婚も、まさにスタートに立ったところです。

これから、全国、いえニューヨークまで広がるBICPのメンバーと一緒に、この小さな町・住田町から地域の課題に真摯に取り組んでいく所存です。

新しく始まったBICP住田オフィスもどうぞよろしくお願いします。

 

長文お読みくださって、ありがとうございました!落ち着いたら住田に遊びにいらしてくださいね!

夜のオフィス

住田の静かな夜のオフィスの様子です