MAD MAN MONTHLY REPORT

Vol.141 パーソナルプライシング――「隣の客と、値段が違う」可視の棚札と不可視のアルゴリズム





<8月号の目次>

◎ Netflixが売り始めた「物語の中」の広告価値
   ――プロダクトプレイスメントとライブ配信で広がるストリーミング事業

◎ パーソナルプライシング
  ――「隣の客と、値段が違う」可視の棚札と不可視のアルゴリズム

◎ AIエージェント時代のEC戦略
  ――ソーシャルコマースの「買った後」に宿る商機

◎【コラム】「バイブコーディング」の高く付くコスト
  ――「一人で無敵」の幻想と氷山下の請求書

◎【コラム】MAD MANが読み解く日本発ニュースの現在地
 ◦ ウォークスルー「無人店舗」の活用場所と見えないコスト
 ◦ グローバル名称を変更する覚悟

パーソナルプライシング――「隣の客と、値段が違う」可視の棚札と不可視のアルゴリズム

 

<本章の論点>
・米国では、個人データを使った「パーソナルプライシング」への規制が急拡大。ニュージャージー州は個別価格を禁止し、
 電子棚札(ESL)の新規設置も1年間凍結した。
・Uber/LyftやInstacartでは、同じ条件でも人によって価格が異なる「見えない個別価格」が実際に問題化。
・日本でもAIによる自動値下げやリテールメディアが広がる一方、法規制は未整備。「全員同じ値下げ」と「個客ごとの価格」の境界が曖昧になりつつある。

 

 

図1:スーパーやコンビニの店頭で導入が進む電子棚札「ESL」の例


出所)Global Retail Technology(2025年4月3日)  

 

店頭の電子棚札(ESL : Electronic Shelf Label)を見ると、昨日と価格が違う。そして、隣の客と私でも、値段が違う(図1参照)

人によって値段が違う世界は、昔から存在していた。保険の料率、会員と非会員の差、クレジットスコアで変わる金利、「たこ焼き1個おまけしておくよ」という日常の一場面まで。

では、これがAIアルゴリズムによって自動表示され、「ワタシにだけ提示される価格」になったらどうか。欧米で動き出した規制は、まさにこの問いに対する司法・行政からの返答である。

パーソナルプライシングには、大きく二つの顔がある。ひとつは電子棚札のように「隣との違いが見える価格」。もうひとつは「Uber」や「Instacart」のように「隣との違いが見えない価格」だ。前者は不公平感が表面化し、後者は気づかないまま差額を支払わされる。この二つが、AIと個人データによって同時に広がり始めている

米国で規制が先行したのは、値段の違いそのものが新しいからではない。手作業の時代には客が納得して受け入れていた慣習が、デジタル上で「隣の人と違う値段」として可視化され、「何を根拠に、なぜ私がこの価格なのか」という不透明さへの違和感が生まれ始めたからである。

これは単なる値引き合戦や販促最適化の話ではない。個人情報をどのように扱うかという本質的な議論である。価格はこれまでのように、誰もが同じように見られる「公共の掲示物」であることをやめ、「個人プロファイリング」に従うパーソナライゼーションの手段に変わって良いのか。それを便利だと受け入れるのか。ここが本章における事業判断のテーマだ。

 

■「見える価格」が変わり始めた

懐かしい店頭の手書きPOPや日替わり札は、来店者全員に向けた公開表示だった。それがESLでは、棚の前を通りがかる人に応じて画面表示がパラパラと入れ替わる。

元々は、スマートカートやスマートレジの画面(図2参照)の中で、同じ商品の価格を客ごとに変えられる技術として登場した。価格という「公共の提示物」を個人ごとの表示へ変え得る技術が、店舗DXとして入ってきた格好だ。効率化の名の下で「食品廃棄の防止」「今ならお得」と表示される店側の最適解を、どう考えるべきか。

 

図2:【左】Amazon Dash Smart Cart /【右】トライアル「スキップ・カート」


出所)左:aboutamazon.com、右:Payment Navi 

 

■NJ州の急ブレーキ ―― Walmart「年末全店化」の矢先に

ニューヨーク州に隣接するニュージャージー(NJ)州は、食料品などについて、閲覧履歴・位置情報・購買履歴といった個人データをもとに客ごとの価格を設定する「サーベイランス・プライシング(監視プライシング)」を禁止した。あわせて、ESLの新規設置を1年間凍結する州法を成立させた(2026年7月23日署名、ESL凍結は2027年2月1日施行)。

近隣のメリーランド州、コネチカット州に続く3州目だ。ニューヨーク州は議会可決・知事署名待ち、コロラド州は知事が拒否権行使と、雪崩のように賛否の審議が広がっている。2026年に入ってからの関連法案は、連邦・州あわせて100本を超えた(2026年7月末時点

先行投資していた店舗側には大ブレーキである。WalmartはESLを約2,300店まで導入済みで、2026年末までに全米全店(約4,600店)への展開完了を公言していた(図3参照)。Walmartからすれば、後出しジャンケンのような法案の登場である。同社は「価格更新は人が主導し、EDLP(毎日低価格)を守る。棚の価格とレジの価格は常に同じ」と防戦に追われている

 

図3:Walmart店内に設置された電子棚札(ESL)の表示価格例


出所)CNBC(2026年3月21日)  

 

州レベルの規制に続いて連邦側も動いた。上院司法委員会が「Your Data, Their Profit(あなたのデータ、彼らの利益:まるで“ジャイアン”のような禁止法案の名称)」と題した公聴会を開き、その2週間後の8月19日、FTC(連邦取引委員会)が「パーソナライズ価格に関する執行方針案」を公表した

開示なき個別価格はアウトとしながらも、パーソナライズの事実や使用データを開示すれば足りる設計でもあり、消費者団体から「買い物のたびに開示文を読む責任を消費者に負わせるな」と不満の声が上がる。まるでCookieの同意ポップアップのように、「許可ボタンを一つ付ければいいのでしょう」という形骸化を招きかねない。なお、この方針案は従来からのクレジットスコア別や会員別の価格設定まで一律禁止するものではない

 

■「見えない価格」はすでに始まっている

まずはInstacartの事例だ。「同じ店の同じ商品を同じ時刻に注文しても、人が違えば価格が違う」。Instacartではアルゴリズムの価格設定によって最大23%の価格差が生じ、世帯によっては年1,200ドル(約18万円)の追加負担になることが調査で判明した。同社はこの調査を受けて当該ビジネス慣行の即時中止を発表したが、中止できるということは「押せば戻せるスイッチだった」ということでもある。

続いてUberやLyftの事例だ。ESLが「可視的環境(隣人の値札が見える)」だとすれば、配車アプリはその逆の「非可視的環境」だ。隣の人にいくら提示されているかが見えないため、自分の価格だけが引き上げられていても気づかない。

Consumer Reportsの2026年6月の調べによると、17州30ルートでほぼ同時刻に同一ルートの見積もりを取ったところ、全ルートで複数の価格帯が出現し、最高値と最安値の差は中央値で約50%、最大163%に達した。

筆者もUberでグループ手分け移動をする際、自分の提示額だけがなぜか高いことに気づくことがあるが、いちいち追及するのが面倒でそのまま乗ってしまう。「UberとLyftの両アプリ」を開いて比較するようなコストコンシャスな利用者は16.1%しかいない(筆者はUber1本に頼ってしまう)。

この「比較しない摩擦(比べないからバレないだろうという価格引き上げ)」という構造だけで、ニューヨーク市だけでも年間3億ドル(約450億円)がプラットフォーム側の収益に積み上がるという試算もある。見えないこと自体が、値付けの余地=収益源になっているのだ。

 

■見えない価格そのものは悪くない ―― B2Bでは公然の手法

「OpenAI」「Anthropic」に代表されるAI利用料のトークン単価は、事業規模やコミット量で企業ごとに異なる。自動車ローンの与信金利が個人ごとに違うのと同じだ。隣の買値は見えないが、「違って当然」であることを皆が知っている

問題は、この常態が食品と日用品の棚といった「生活の一丁目一番地」に降りてきた瞬間、社会の受け止めが一変することだ。「交渉で決まるB2B価格」と、「知らないうちに決まっている生活必需品の価格」は、同じ個別価格でも意味が違う。米国の州法の多くが、対象を「日々の食料品」に絞っているのは偶然ではない(さらには、電力・水道などの生活インフラも同様の影響がある)。

 

■AmazonがB2Cから引き揚げた意味

Amazonは2026年1月、「Amazon Go」と「Amazon Fresh」の全72店舗の閉鎖を決定した。手のひらの生体認証決済「Amazon One」も2026年6月にサービスを終了し、Whole Foods全店から読み取り機を撤去、蓄積した生体データも削除すると発表した。技術的にはパーソナライズ価格をいつでも実装できる器を、AmazonはB2Cの売場から自ら引き揚げたのだ。

ただし、投下された技術そのものが消えたわけではない。レジなし決済「Just Walk Out」は第三者小売への外販(B2B)に軸足を移し、世界360超のロケーションで稼働中だ。監視の技術が退場したのではなく、実証実験を経て販売先を変えたのである。「消費者を覗く装置」から、「小売事業者の覚悟の上の効率化ツール」へ。日本の電子棚札を巡る議論と、きれいに重なる

 

■日本の「食品ロス削減」「人件費削減」の名で走る、同じ根の技術

イオンリテールは、日本IBMと開発した「AIカカク」を2021年5月から適用した。惣菜・日配から始まり、2024年には畜産・水産へ拡大。販売データをもとにAIが適切な値引き率を提示し、ロス率は導入前比で1割以上低減した(2024年5月発表時)。

トライアルは、「トライアルGO」で店内AIカメラ105台が売れ行きを画像解析し、AIが値下げの実行と値下げ幅を自動で判断して電子棚札の表示を書き換える。同社自身が「世界初、店内カメラと連動したダイナミックプライシング技術」と呼ぶ仕組みである(2023年6月発表時)。

日本での共通した語られ方は、「食品ロス削減」「勘と手作業からのDXによる効率化」「人手不足への対応」であり、この大義名分は本物だ。

たとえば、夕方の魚屋の店主が「安くしておくよ」と声をかけるとき、そこには顔がある。誰にでも聞こえる声で、同じ棚の全員に向けて言う。イオンの「AIカカク」も、判断主体こそAIに変わったが、まだこの「全員に同じ声」という構造を保っている。

しかし、売価を遠隔・即時・自動で書き換える技術の根は、NJ州が「まずは1年止めて研究する」と決めた背景と同一である。日本の運用は「全員に同じ棚価格」を保っており・・・

 

 

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